道具としてのメモ

”手帳”に続いて、”メモ”について自分なりの研究活動体制に入りました。
目的は時間の有効活用と、場所選ばずwork/studyの実現のためです。

記録・備忘用途として手帳を使う、というのが一般的だと思うのですが、私の場合それじゃあいろいろと不都合が出てきます。

  • 記録が増えすぎる、貯まりすぎる。
  • 手帳がデブる → ”携帯性”に対して低燃費。
  • 手帳持ってないときにギブアップ
  • アクションのステップ数が多い(手帳とりだす→各ページ探して開く)(コピーしにくい、人に渡しにくい)

という事で、手帳に書く事は以下に限定、

  • スケジュール
  • 行動目標、
  • 行動履歴
  • todoリスト

ここらで一旦手帳考察から離れることにします。


で、
手帳とは別にメモ帳を携帯する事にしました。寝る時以外ずーっとです。


ごちゃごちゃと試した挙句、ブロックロディアが最強!との結論。No11です。
他のサイズは数枚ずつを手帳に挟み込んで、非常時用の用紙として備えます。

メモを使い倒すようになってから、行動力/すぐやる度 が少しUPしました。
グズ脱却近し!? という感覚があります。


書く。書く。とにかく書く。考えるより先に手を動かす。
ワンアクションでメモを取り出す。書いたらチギル。メモ帳はサラ状態でスタンバイ。
この習慣が段々と身についてくると、確かに病みつきになります。
ロディア効果、ホントに凄いもんでした。


なんでかな〜 と改めて考えてみると、手帳に書き込む場合と比較して、

  • ”書く”動作に対する心理的敷居が低い。

これが最も大きな要因。
この心理的敷居がキーポイントでした。サイズ/携帯性はその次。



手帳やノート類に何か書く際は、必ずといって一旦躊躇します。
記録に残っちゃう事を無意識に考えてたり、あるいは紙やページをケチってしまうからです。
あるいは、”こんな細かい事まで書くんかよ〜”などの意識が働くからです。
要するに、書く前に頭の中での纏め作業や要約/省略などの行為が済まないと、書く動作に移れない、という現象の様でした。


対して、ロディアなどのちぎるスタイルのメモにおいては、消費自体が1種の快感となり、じゃんじゃん書けます。
といってもブロックサイズ限定の話かもしれません。(A5サイズだと500円前後/1冊とかになって、貧乏根性が邪魔しちゃいます。)


考えながら書くのではなく、書きながら考えるスタイルにわりとあっさりと移行できます。
これは即ち書く技術の向上という相乗効果も見込めます。多分...
ブロックサイズ1枚の容量が、メモというワンテーマ性との相性が良いみたいで、書きやすい・読み返しやすいと感じます。
A5やA4だと読み返すのにも敷居が高い、ポストイットなどの付箋などじゃあチョトタラン、という事でサイズ・容量的にもベストな様でした。

じゃあ良い事ずくめなんか、と言うとそんな訳は無く、困った問題も残ります。
書く技術がUPしちゃうと、整理する技術も必要になってきちゃいます。
よーするにメモだらけになってしまう、どこやったか訳ワカランようになってしまう、という事態に突入します。
またまた、整理術を確立せんとアカン、という訳です。

そもそも、メモ術の目的は ”場所選ばずのwork/study”という事で、メモを整理する・覚える・校正する・他人に指示する等の仕掛機能を発揮せんと意味ないからです。


書くときと同じように、”いつでもどこでも取り出せる”という要件が残っているのです。

つづく...